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最近の葬儀の不思議

色々なところに葬儀に行きます。
葬儀屋が「バシャバシャ」とフラッシュたきながら葬儀や出棺まで式の間ずっととってるんですねぇ。
正直、それが葬儀屋のサービスなら無駄なサービスです。やめていただきたいですね。式中ですので注意もできない、終わってから「写真撮ってすいません」だなんて葬儀自体が金儲けの温床と化してる。
心からの葬儀とは何か、葬儀屋も僧侶も考えないといけないと思います。

さ~らぁ~にぃ~
「生活保護受給者は葬儀をしてはいけない」

なんだそれ?亡くなった故人さんに対する偏見と侮辱。

市からはそれ相当の費用が出ている。生活保護を受けている方に神栖市なら10万円だそうだ。
それも、お寺への布施ではなく葬儀屋へ入るお金。

それはいいとして、いくつかも賛否のある問題である。
①お寺の葬儀費用の高いというイメージ
②税金から布施に支出することへの抵抗

税金から出すことへの抵抗はあると思う。しかし、葬儀屋に出すんだぁ。目に見えるお金だからね。でも、金額多くないかい?最終的には生活保護受けている方のお骨は寺管理となる。お寺に欲しいというわけではないが、葬儀屋に10万で実質プラスマイナス0以上となる。お寺は喪主さんの懐から5000円~10000円で33年またはそれ以上墓地の管理をするわけである。なんかおかしくないかい?
お寺も気持ちなら、葬儀屋さんもマージンとらなくて気持ちでやってほしいねぇ。

なにより「生活保護受給者は葬儀をしてはいけない」というのがおかしい。
保護受けてようが受けてなかろうが、ちゃんと葬儀をしてもいいじゃないの?その代り税金を使うことなく「簡素でもきっちりする」という信念を僧侶が持たなくてはいけない。本堂でやれば線香やろうそくなどお金は一切いらない。(生活保護受給者の場合)
葬儀屋さんに棺・必要書類の代行・配送・その他納棺にかかる費用などで済む。

でなければ、ますます葬儀の簡素化が進むことになる。
だって、「しなくてもいいんでしょ?」「それでいいなら簡素化しましょ」「だめなら、なぜ僧侶は簡素化でやってんの」「金にならないものは簡素化なの」となるではないか。

勿論、生活保護受給者とそのほかの方とは規模や内容は変わってくるものの違うもののやることはやる。そういうことは必要ではなかろうか。
たとえ一日でもお経を同じように読む。そのぐらいの供養はしていかなければならない。「葬儀をしてはいけない」という考えが起きることが情けない。

たまには一刀両断

アホなことばかりのブログ。それが「おめこブログ」。
たまには仏教がらみの変なことを一刀両断。

①音楽葬にしたい
⇒仏教こそ音楽葬なんです(笑)。しかし、故人が好きであった音楽を演奏したり流したりすることは素晴らしいことです。しかし、最近は過剰なサービスの葬儀屋がいて、出棺の際のお経最中に電子オルガン生演奏なぞするところがあります。それも「アメージング」。さらに「千の風になって」。最近は僧侶も自由ですが、葬儀屋も自由になって、グズグズの葬儀をよく目にします。することをして本当に好きな故人様の音楽を流しましょう。

②戒名料・葬儀安くしますので私に葬儀やらせてください
⇒こういう手紙をおくってくる某宗教団体(伝統仏教教団の名前をかたっているらしい)がいる。完全に商売。
長照寺は戒名料もありません。葬儀料だってきまってません。適材適所、当家が無理ない範囲でいいのです。純利益年収2000万の人、年収200万の人の10000円の感覚は違うんです。それを一律で考えるというのはすでに間違っています。
どれだけお金があっても、家族のお墓参りいかない方や親をほっておく人に「居士・大姉」なんて私は付けません。しかし、よく家族を見てちゃんとしている方には無料でお付けします。戒名ってそもそもいい悪いってないんですから、こういう議論が出る時点でおかしいのですが。

③お寺はお金がかかる
⇒そういうイメージはありますね。勿論、いろいろかかるお寺もあります。檀家料(護寺会費)、墓地管理費もろもろ。
長照寺は護寺会費3000円、墓地管理費無料(私が草むしりしているから)。
お布施に関しても「ネットで申し込んだら安い」っていうのが出てきている。こういうのが出る原因は今の坊さんにあるんじゃボケェ<`ヘ´>
私の試算:安いということで檀家数が多い某新興宗教と日蓮宗のお布施平均10年で計算すると日蓮宗の方が安いのだ。
うちは顕本法華宗ですけどさらに安い。おかげで小さいお寺が多い(笑)。安いのがいいわけではないが安い。

④坊さんってアホ?
⇒厳しい質問でした。近所のお寺さんが飲み屋で私の檀家さんのおしりを触って喜んでいたことがあって相談を受けた。
勿論、アホです(笑)
最近は、話ができない、字が書けない、箸が持てない、挨拶ができない、会議中にゲームをする西日本の住職もいた。その比率がここ最近多くなってきている。何より人と話せないというか、間の取り方や相手をおもんばかる会話ができない僧侶が増えた。
いいんですよ。飲んでも、騒いでも。しかし場と立場というのを考えてやらないと公共の場でねー・・・・・。

はぁ、頭を抱える。
本年度、顕本法華青年会(東日本若手僧侶の会)の会長を拝命した。
背筋伸ばして喝入れた恐怖の会にしちゃる(笑)
若手の僧侶っ覚悟しとけぇ。でも、私には優しくして(笑)

開運グッズ詐欺師に間違われた

面白いネタ提供(笑)

先日、介護施設のボランティア講演から戻ると、週刊文春みたいな取材陣(記者・カメラマン・アシスタントの3名)が国道沿いの寺の敷地に。

んっ?なんかの取材かな?

私: 「何か今日あるんですか?」
記者:「住職ですか?」
私:「はい」
記者:「取材良いですか」(この時点で大きなカメラとマイクを向けられる)
私:(わくわく)
記者:「ブレスレット売ってます」
私:(んっ?)「いや、売ってないですよ」
記者:「被害が出てるんですがそのことについて」

んっ?

その後の記者の質問
「幸せ工房って知ってますか」
「被害者が出てるんですが」
「振り込ませといて詐欺しましたか」
「家宅捜索入りましたか」

んっ?

威圧的な態度と、笑顔のない女性記者の容赦ない質問。

んっ?

わし犯人と間違われてる?詐欺師と間違われてる?

私:「多分、いや確実に間違ってますよね」
記者:「ここは長照寺ですよね」
私:「はい」
記者:「長照寺に被害が出てるんです」
私:「えー、振り込み用紙なんかも護寺会しか持ってないのに確認しますね」

で、役員に電話したら事実無根。で鹿島警察署に電話したら、慌てて電話を切るように某大手テレビ局京都支局に指示された。
「管轄が違いますから」「混乱しますから」だって。
さらには役員に話を広めないように口止めされた。
何より、すべて電話をスピーカーにしていたから一部始終を電話の檀家さんは聞いている。

その某テレビ局報道部京都支局はしらない。田舎の恐ろしさを・・・・・。

国道の目立つところで宮崎議員や狩野英孝のような突撃笑顔なしインタビューを受けている私を皆みてる。
うわさは広がる。
組合や葬式でいわれんだよなぁ。名誉棄損だよな。
いわないでといわれてもいうよ。だって、読売テレビ報道局のせいで今だに「長照寺らしいよ」って疑われてるんだから。
いまだにそうだよ。正式に詐欺に加担した寺の名前が出ないんだもん。

だって、
記者:「多分うちの間違いかなぁ」
私:「多分じゃなく間違いですよ。気持ちいいものではないので確認してください」

で、夜「事実無根でした。すみません。で誰にも言わないでください。撮影でいったことに」
だって。
撮影といっても長照寺は、すでに噂になっているよ。長照寺は詐欺には事実無根なのに。
テレビ局の話と地元の檀家さんお情報を合わせると

テレビ局は鹿島セントラルホテルからタクシーで来たらしい。で、長照寺といわれたという。
さらに、テレビで映されている画像は私の宗派ではない。
つまり、長照寺のちかくの「ちょうしょうじ」という名前のお寺ということになる。しかし、それも曖昧な情報である。だって、テレビ局がいうんだもん。
長照寺と同じ名前の茨城県のお寺らしい。
地元の檀家の情報は早い
そして、今回捕まった内容を見ると実際のお寺の口座を使っていたらしい。私の寺ではない。

しかし、その根拠のない間違った取材で長照寺は被害が出ている。詐欺師に間違われて、さらに国道の目立つところで犯人扱いされ、口止めされて、テレビではお寺の口座なんていうんですよ。
長照寺違いですし、本当にやってられないですよ。

菓子折りもなく突撃で詐欺師に間違われ、うわさが流れていても電話一本のすみませんで終わる。
地元のうわさは広がるのだよ。
読売テレビの報道局京都支局っ。
君たちが詐欺師に間違ったせいで、また間違えるからわしも色々な人に確認とるでしょ。だって、急にきて犯罪者に間違われてるんだから、謝罪があるまでは確認作業するよね。で、うわさになるのは当たり前。

それを口止めなんかできないでしょ。
話は尾ひれがつく。威圧的な取材をしておいて「ごめんなさい」だって。都合よすぎるぜ。

すでにネタとして落語でも使ってますが、気を付けていただきたい。
誤解を招いて、檀家さんに一回一回説明して廻る手間を私は負う羽目に。そのテレビ局は一瞬の謝罪で終わる。楽な仕事だよねー。

せめて笑顔で取材に来いよ。
さらに、おめこ祭りを宣伝しに来てほしいよね。

本当にちゃんと確認してほしいですね。不快極まりないテレビ局の取材を受けて、只今なぜか私が檀家さんに説明をしている。
テレビ局が「お騒がせしました」って役員や檀家さんに謝りに来るべきではないだろうか。

私は長照寺に赴任して14年目。
住職がいない、住職が長続きしないお寺の立て直しで広島県から来た。当初は信頼いただけなくて「帰れ」とか「また住職代わってしょうがねー」とかいろいろ言われた。線香投げられたりもした。毎日草むしりをした、毎日バイトしながらお寺の建て直しに精を出したつもりだ。
ようやく赴任6年目でお寺に人が集まるようになった。地元の方々が掃除に来てくれるようになった。声かけてくれるようになった。ま
300年近くになる「おめこ祭り」も地域の方々の力で復活した。

なのにこんなことで疑われるのは正直、今までやってきたのが情けなく感じる。
地元の檀家さんや、地域の方、名古屋のリスナーさんや多くの関係者の方々は「住職そんなんじゃないのにね」「腹立つね」といってくださる。そこまで信頼というものを10数年かけて築き上げてきた。
なのに、考えもなく読売という大手にもかかわらず無頓着に無愛想にそれを汚して帰っていくその態度に悔しさが積みあがる。

なによりも悔しい。
ただそれだけ、訴える気力もない。しかし、せめて役員や檀家さんの前で謝ってほしい。

口止めされてましたけど、長照寺の名誉にも関わりますのでいわせていただきました。

今年のおめこ祭りは完全に晴れます

悔しいかな今年のおめこ祭りは晴れます。

おめこ7年連続雨、さらに私が出るイベントや諸々が94%の確率で雨。

そんな私。「太田地区納涼盆踊りが雨ならおめこは晴れる」という勝手な思い込みがある。
今年は雨が降ったということは、残念ながら確実に晴れる。

晴れには弱いおめこ祭り。常に雨が降らないと、ビチャビチャにならないと濡れないとおめこではない。
それがおめこなのだ。

にもかかわらず、メインで晴れてしまったらどうしようもない。
晴れたら消防の方にお願いして放水してもらいたいぐらいだ。

ちなみにおめこ祭りのメインゲストは「つボイノリオさん」。
名古屋を代表する名古屋の顔。しゃちほこに匹敵する知名度を誇る。名古屋市長をしのぐ知名度。それはまさに名古屋のタモリさん。
すでに、みそかつ、ひつまぶし、名古屋コーチン、つボイノリオという名古屋名物になっているお方。

よーっし❕
神栖市の皆さんっ、心して大歓迎の準備です。
よろしくご協力お願いいたします。
神栖市がどれだけ素晴らしく何もないか・・・・いや素晴らしいところかをアピールするいい機会ですよ。
市長さんっ、副市長さんっ、役場の方から、市民の方まで、是非とも色々な形で(出店とか)ご協力ください。

神栖市はピーマンだけではない、ピーもありマンもあるということを宣伝しましょう。
メロン・トマト、波崎菊・いちご・しらす・ホッキ・シジミ・千両・松など。他の地域に負けないよう頑張りましょう。


事件に喝

なぜ?僧侶が事件を起こすのだろうか。
それもほぼほぼ同じある宗派の若僧侶。

女子高生の盗撮、成田では日本刀振り回して逮捕、放火、詐欺その他悲惨な事件を起こしている。

何のための修行なんだ。修行するなら社会勉強しろっ❕といいたくなてくる。
修行も社会勉強の一つのはずだが、会話ができない、動かない、目の前になることを処理できない、簡単な諸問題を処理できるの力が乏しい・・・・僧侶というのが完全に無能なものへとイメージが移行しつつある。社会の風潮がすでにそういう流れである。

なぜ僧侶は気が付かない。葬儀に行って持ち上げられるからか?世間のとのギャップを感じているのだろうか?というよりも、世間のギャップを僧侶が楽しんで優越感に浸っているように思えてしょうがない。

一部を見て全体を考えるということは避けなければならない。世の中には多くの真面目で一生懸命に努力してお寺を維持している方も沢山いる。そっちの方が多い。ただ一部、一部なのだ。その一部どうにかしてくれ。

特に僧侶や警察というのは一部の問題で全体が大きく揺らぐ。

先日、警察協議会に呼んでいただいた。
警察も色々な不祥事から信頼を回復すべく試行錯誤しているというのを感じた。どうにか市民の信頼を得て、市民と協働できる体制造りに必死である。その姿になんか申し訳なさを感じる。
もっと市民が警察を身近に感じ信頼していれば、警察も諸問題に取り組む時間が増えるのにね。市民の目が気になりだすと捜査などもぶれるよね。本来すべきことをしやすい環境を我々も協力して作っていかないと100%の警察の能力を引き出すことはできない。
非常に大きな範囲の規模でいろいろ処理している警察官に頭が下がる。その畑に近づかないと分からない努力と苦悩。しっかり感じさせていただきました。


僧侶も協議会作るかな?
もっと僧侶は市民の声を聴くことが大切なのでは?。もっと我々は周囲の目を気にした方がいい。

特に問題を起こした某宗派の本山や周辺の僧侶はがっつり反省をしてほしい。だって修行して悪い人間をつくっちゃったんだからね。某宗派の本山は切り捨てればいいというものではありません。他人事ではなりませんよ。ちゃんと対応してほしいですね。
事件や情報が多すぎてホッとけばすぐに風化してなかったことになる時代、もっと見られているということを自覚しなければならない。
私に言い聞かせながら。