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世の中余計なものが多い

世の中は「発展」「便利」ということを前提に変化している。勿論、素晴らしいことであるがちと行き過ぎではなかろうか。
技術の流れに人間がついていけない。その結果、負の連鎖をうんでいる。
不必要なものが多すぎて、シンプルであるも知恵を絞って生きる構造から、複雑かつ安易な社会構造に変化している。

トイレを掃除していた時のことだ。
私のトイレは4ケ月前に入ってきたばかりの新入りである。一人前にウォシュレットを完備。

で、ふと気が付いた。「おしり」ボタンの横に「おしりソフト」ボタンがさりげなく並んでいたことを今Σ(・ω・ノ)ノ!

なんと「ネオソフト」や「御当地ソフト」という柔らかなイメージの「ソフト」という言葉に、「茶」「臭い」を連想させる「おしり」という言葉が連結されている。
なんとっ( ̄▽ ̄)大胆かつ繊細なボタン「おしりソフト」ボタン。

昔、「天使のおしり」というパンがあって中学生ながら(/ω\)って思っていたことがあったが、これはΣ(・ω・ノ)ノ!ってなる。

あれば押す。それがオスの本能。
無駄に腰掛けていざゆかん。未知の領域へぇぇぇぇぇぇぇ。

はうっ(*ノωノ)

んー(・ω・)

ソフトだけに、フワフワで水流が甘いっ。
すでにウォシュレットというプライドがない。高圧洗浄機なら確実に返品ものである。

さらにピンポイントではない。広範囲をカバーするため拭く範囲が広がるという"(-""-)"
でもこれは「痔」専用なんだそうだ(←タイムラインで教えてもらった)。納得(*^^)v

しかーし、その横に少し小さなボタンが申し訳なさそうに並列している・・・・・んっ?(。´・ω・)?

「マッサージ」ボタン。

エッ?・・・・・えっ?・・・・・どこを?・・・・・ここで?・・・・・ピンポイントで?・・・・・・そこ?・・・・・

小さいボタンにもかかわらず、いまだに私の大切な時間の多くがこのボタンを納得するために費やされている。そのボタンを押す勇気はない。考えた人がすごい。何のために。
ヤッターマンの自爆スイッチと同じぐらい無用なボタン。むしろヤッターマンの方が尺の関係で自爆スイッチは不可欠なのかもしれない。しかし、イボ持ちの方には本当の痔爆スイッチになるだろう。
無駄でも人を楽しませることができる。ただし、余計なものは人を苦しませることもある。
このスイッチを押す日は来るのだろうか・・・・いや絶対にない。

葬儀の様相の変化について

「葬儀に関しては時代遅れでいい」これが持論だ。

というのも、果たしてそれが時代遅れなのであろうか?
「枕経・仮通夜・通夜・葬儀・出棺・火葬・納骨」この一連の流れになんという無駄があろうか。

枕経:枕元で最初にお参りを聴かせる。
→耳の機能は最後まで残るといわれる。これは科学的に立証されている。つまり、お経声だけでなく家族の「ありがとう」などの声かけも有効なのです

仮通夜:西日本で多い。通夜までに家族を中心におこなるもの
→基本、家族に対して拝むという様相が強い

通夜:親戚・近所などが集まり、残された家族に対して「香典」(線香を絶やさす供養してほしいとの気持ちから線香代の意味)を渡し故人を弔うだけでなく、家族への安心感をもたらす

葬儀:故人を主体とした法要
→個人の縁故者が参列にあつまることで、故人を縁を喪主の縁として引き継ぐ意味がある

出棺:火葬へ向かう儀式
→生前の姿はここまでのため一つの節目となる。

納骨:故人を埋葬することで永遠に供養する

それを直葬などするのは正直やりたくないですね。だって、嫌なことおきるの嫌ですもん(笑)。
何かにつけて縁起を担ぐ人が葬儀をおろそかにするのは支離滅裂です。

さらに最近は親の葬儀に来ないというのがある。ある宗教団体は他宗教の葬儀には参加できないとのこと。宗教の本質を欠くものです。こういう宗教の特徴は極めて危険な思想があるのです。
ある宗教団体の幹部は、親の49日に来ずして宗教団体の役職についておられます。正直、あきれましたよ。人を導くという目標を持っているのでしょうが、自分の親の葬儀や年回の供養をせずして幹部になることが果たしていいことといえるのでしょうか。

新しい宗教や、新しい葬儀方法、新しい埋葬法、新しいお参りの仕方・・・・などなど新しもの好きはいいですが、そのほとんどが支離滅裂。家族のこともできない人が何をしてもダメですよ。
勿論、お坊さんや葬儀屋の質にもよります。
だからと言って極端な葬儀の省略はやりたくないですね。むしろやらないほうがいい。

長照寺は安いからといって来られる方がいる。そんな不純な動機で葬儀したところで、立派な墓を建てるではなく、お参りするではなく。形だけならしない方がいい。それで悪いことが起きても私は知りませーん(笑)

気持ちを込めて葬儀をするということがどれだけ大切なことか。それが薄れると「大切」の意味のなくなってきます。